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「運の良くなる生き方」打算的でもいいから、他人の役に立つことをやる

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この本を読もうと思った理由

 私がこの本を読もうと思った理由は、「運が良くなる」というよりも「運が悪くなる」生き方を避けたいと思ったからである。「自分は運がイイと言えるか」の記事でも書いたが、私は理系出身だが、運という非科学的なものは信じている。

「運の良くなる生き方」(西中務、2017年2月、東洋経済新聞社)

本質的な生き方の参考にしたい

 自分自身の「本質的な生き方」として、運が悪くなるような生き方は避けたいと思っている。例えば、自分さえよければよいという考え方などが、そういったものに含まれる。しかし、人間なかなか自分を客観的に判断することができない。そこで、このような第三者の意見を参考に、自分の普段の行いをチェックしてみたいと思った。

1万人分のサンプル

 筆者は、長年弁護士として数々の依頼者の人生を見ている。サービス業などでも、他人と接する機会は多いが、その多くは瞬間的である。弁護士であれば、依頼者の生きて来た背景などもじっくりと知ることができる。

 筆者は明確に、この世には「運の良い人」と「運の悪い人」が存在するといっている。その違いは何なのか?1万人と接した経験から導き出された答えについて、本書では述べられている。

謙虚な心が必要

 せっかく他人のために良いことをしたのに、謙虚さが無ければ運は逃げていく。「やってやった、感謝されて当然」、このような態度が周囲に分かるほど出てしまっては、終わりということである。なかなか難しいことだが、「やらせてもらっている」という気持ちを持つことができるかである。

類は友を呼ぶ

 良い人の周りには良い人が、悪い人の周りには悪い人ばかりが集まって来る。当然どちらと付き合うかは明白である。運を良くしたいなら、良い人と付き合うこと。しかし、ここで悩ましいのは、その見極めをどうするかということである。あまり、利己的な判断ばかりしていても、運は逃げていくだろう。

情けは人の為ならず

 おそらく現代では、多くの人がこの言葉の正しい意味を理解していない。間違った使い方をしている。かくいう私も、ちょっと前まで勘違いしていた。

【誤った意味】
 情けは他人を甘やかすことになるので、本人のためにならない。本人の自立を促すためにも情けをかけない方が良い。

【正しい意味】
 情けは他人の為ではなく、自分の為である。他人への情けは、まわりまわっていずれは自分に良いこととして帰ってくる。なので、どんどん情けをかけよう。

 ここまで真逆の意味というのも珍しいだろう。本来の意味は、他人を助けるといずれ自分にも良いことが起こるということである。ちょっと将来の見返りを期待した打算的な部分もあるが、仮にそうだとしても、率先して他人を助けられるかどうかである。

道徳と私欲どちらを上に置くか

 道徳と自分の利益、どちらを上に持ってくるかが重要である。特に現代では「違法でなければ何をしてもいい」とう風潮が蔓延している。限定グッズの大量買い占め、転売などもそうであろう。「何が悪いんだ?」という態度である。

私欲を優先させると運が悪くなる

 特にズルはいけないと書かれている。実際に、筆者が数々のズルをして利益を得た人の末路を見てきたが、その多くが転落の人生を歩んでいるということである。信じるか信じないかは、あなた次第だ。

他者との比較、恨みは運を落とす

 争いの多くは恨みから生じる。その恨みは嫉妬から生まれる。現在は、幸か不幸か、おそらく不幸にもSNSを通じて世の中の他人の状況を知ることができる時代になってしまった。派手な同年代の成功体験や自慢を見ると、どうしても平凡な自分と比較してしまう。

自分の人生を大切にする

 年収、容姿、生活環境など、比較対象はいくらでもある。比較ばかりしているとその内「なんで自分が、なんであいつが」という気持ちが生じてしまう。このような嫉妬やそこから生まれる恨みは自分の運を落とすことになる。自分は自分、他人は他人と割り切って、自分の人生を大切にすることに意識を向けよう。

運は人徳

 運は人徳で決まる。いわゆる人付き合いの良さや良好な人間関係の事であろう。自分よりも他人の利益を優先する。そういう心がけや生き方をしていれば、「お金など後から自然とついて来る」逆にいえば、お金を優先させるのはダメだということである。

運を開く3つの言葉

 運を開くための言葉として、①思いやる言葉、②励ます言葉、③褒める言葉の3つが紹介されている。確かに、現代において他人にこのような言葉をかける機会は少ないかもしれない。部下や後輩に、「大丈夫か、頑張れ、よくやった」という言葉を使っているだろうか。照れくさい、恥ずかしいかもしれないが、まずは使ってみよう。

善悪の報い

 善行には良い報いが、悪行には悪い報いが訪れる。なので、自分の人生を良くするも悪くするも自分次第ということである。すべては、自分が行った行動の報いなのである。「自分はいつもツイていない」と思うなら、それは自分の行いが良くない結果かもしれない。一度普段の自分の行動を見返してみよう。

まとめ

 このようなことを「非科学的だ」、「いかにも儒教的だよね」といって一蹴することは簡単である。しかし、他人のために何かをすること自体は悪いことではない。ボランティア活動で有名な俳優の杉良太郎さんが、嫌な質問をする記者に対して「売名だよ、偽善だよ。あなたも、どんどんおやりなさい」と言ったのと同じである。

見返りを求めてもいいからやってみる

 私自身、「エエ、もちろん将来の見返りを求めていますよ。だから、せっせと他人に投資しているんですよ。」と言えるぐらい、他人に何かを出来るだろうか。将来の自分の為だと思えば「やってやった」という気持ちも消えし、やるためのハードルも下がるだろう。なんせ自分の為なんだから(笑)最初はそんな気持ちで始めてもいいと思う。