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「土と生命の46億年史」土は人類には作れない、なぜなのか?

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この本を読もうと思った理由

 私がこの本を読もうと思った理由は、完全に個人の趣味趣向である。単純にこういった、進化や地球の本が好きだから。以前に読んだ「はずれ者が進化を作る」は、超絶駄本だったので2冊連続ハズレはやめて欲しいと思いながら読むことにする。

土と生命の46億年史(藤井一至、2024年12月、ブルーバックス)

人類が作れないもの2つ

 本書の冒頭で、現在の科学技術を持ってしても作れないものが2つあると紹介されている。それが、「生命と土」である。土については、100均でも売られており、水同様無限にあるように感じるが、これらはすべて地球46億年の遺産を流用しているに過ぎないのだ。

土の定義

 本書では土とは、「①岩石が崩壊した砂や粘土と②腐植が混ざったもの」と定義されている。腐植とは、生物や微生物の死骸をベースにした栄養分に富む成分である。この腐植の作成が困難なため土を人工的に作れないようだ。本書では地球誕生から土の誕生の歴史が紹介されている。

5億年前まで「土」は存在しなかった

 地球が誕生したのが46億年前、生命が誕生したのが38億年前。それからすると土の誕生は5億年前と非常に新しい。岩から発生する砂と粘土は、40億年前から存在したのだが、最後の重要な材料である「腐植」が5億年前まで調達できなかったのが原因である。

 では、5億年前に何があったのかと言うと「植物が陸上に進出」したのが5億年前となるのである。ここで陸上に枯れた植物や微生物が堆積してようやく腐植というものが誕生し、土が作られた。ということは、46億前から5億年前までの41億年もの間、陸上は岩しかない荒涼とした大地だったのだろう。

石炭を作り続けた「石炭紀」

 人類は化石燃料によって現代の反映を手にしている。石油、石炭、天然ガス等である。そのうちの1つである石炭が6000万年という膨大な期間作り続けられた時期があった。それが石炭紀(3.6億年前~3億年前)である。ネーミングセンスが直球過ぎる感はあるが、とにかく6000万年間植物の死体(落ち葉や朽木など)が蓄積し続けたのである。なぜなのか?

植物を分解できる役者がいなかった

 答えは、植物の死体を分解できる役者(微生物)がいなかったからである。現在では、森へ行くと朽木が腐ってボロボロになっている光景を容易に目にすることが出来る。腐葉土もホームセンターで売られている。しかし、今では当たり前の微生物(主に菌類)が地球上に誕生するまでは、植物の強固な細胞壁の成分である「リグニン」を分解することが出来なかった。

 この結果として、膨大な量の植物の死体が分解されること無く積み重なり、それが化石=石炭となって現在の我々の生活に役立っていることになる。石炭紀には、植物内に取り込まれた二酸化炭素が分解されずに留まるため、空気中の二酸化炭素濃度がどんどん減る一方でその結果、「地球は寒冷化」したのである。

地球温暖化の原因

 現在は過去とは真逆のサイクルが発生している。地下に閉じ込められていた石炭や石油を燃料として消費し、二酸化炭素をドンドン空気中に放出することで「地球は温暖化」している。いうなれば、地下に封じ込められていた二酸化炭素という悪魔を解き放っているのが人間なのである。どこかのゲームのシナリオに使えそうな感じである。

植物から1億年遅れで動物が上陸

 植物から1億年遅れで、ようやく動物が海から陸上に進出した。なぜ1億年も遅れたのか?理由は、植物は光合成を行い自分でエネルギーを生産できるが、動物はエネルギーを自ら作りだせないので他者から摂取する必要がある。それらの器官の発達に1億年という進化の年月が必要だったのだ。

土が作れない理由

 このようにして動物が陸上に進出したことにより、土の中の食物連鎖や動物の排せつ物も加わり、腐植生成のメカニズムはドンドン複雑に進化していったのである。現代の人類が土(腐植)を作り出せないのは、こういった数億年をかけて構築されたメカニズムを再現出来ないからである。

【マメ知識】ジュラ紀の元ネタ

 恐竜が地球上に繁栄していた時代はいつ?と聞かれると多くの人が、白亜紀とかジュラ紀と答えられると思う。映画ジュラシックパークにも使われている有名な「ジュラ」という言葉は、スイスとフランスの国境にある「ジュラ山脈」が由来である。ジュラ山脈の地質がジュラ紀に形成されたことによる。

 ちなみに、白亜紀の白亜の元ネタは、チョーク(石灰岩)であり。黒板につかう“あのチョーク”も同じ語源からきている。飲み会などで“知ったかネタ”として使えばウケるかもしれない。

土と人類の未来

 農耕が始まって以来、人間は土を消耗し続けている。作物を作れば土の栄養は作物に移動する。本来であれば地球の循環システムが、山の枯れ木などから新たな栄養分を補給してそのサイクルがバランスを保てる範囲内であれば、永久機関は成り立つかもしれない。しかし、人間の活動は明らかにこの循環システムを超えて活動している。

 やがて土が枯れて枯渇し、作物が育たなくなる時代が来るかもしれない。この問題の解決策として、本書では2つの案が紹介されている。
・耕作地を増やす ⇒これはすでに頭打ちの傾向にある。もう適地があまり無い。
・単位面積当たりの収穫量を増やす ⇒人類はこちらを目指してきた。

窒素量に制限されてきた人口

 本書では、植物(作物)の収穫量は土中の窒素量に制限されるとある。そのため、収穫事情が乏しかった20世紀初頭の人類の上限はおおよそ16億人となっていた。だが、わずか100年後の21世紀初頭の人類は80億人に増えていた。実に5倍である。この100年の間に何があり、人口が急激に増えたのか?

化学肥料の発明

 第一次世界大戦頃、工場で窒素をアンモニア(化学肥料)に変換する技術(ハーバー・ボッシュ法)が生み出された。これにより、食糧生産量は急増、人口爆発が起こる。人類は窒素不足による人口制限という足かせを取り外したのである。これが、わずか100年で人口が5倍に増えた要因である。

 もっとも、これとて人類の未来を保証したわけではない。これらを生み出す材料もすべて過去の地球遺産による有限なのである。。。

まとめ

 土の材料、作られた歴史から現在の食糧事情と未来予想まで、本書では多くの内容が語られている。とても面白く興味深い内容であった。こういう本を読むたびに、我々の繁栄と未来の見通しは明るくないことを知らされる。

 多くの人が、「どうせ自分はその時には生きていないし」と考えて、何も行動を起こさないのであろう。もちろん、それは私も同じである。しかし、いつか自分たちの子孫が何らかの危機に直面する時代が確実に来るのだろう。それが人類という種の寿命なのかもしれない。