この本を読もうと思った理由
私がこの本を読もうと思った理由は、著者への興味が7割、本書の内容への興味が3割である。著者は、成田悠輔(なりた ゆうすけ)氏。最近、YouTubeやヤフーニュース等でチラホラ見かけるようになった。東大卒業後、マサチューセッツ工科大学博士号取得と経歴は超一流である。よく見ると右と左で形の違うフレームの眼鏡をかけているが、滑っている感は否めない。
X(旧Twitter)を見てみたが、皮肉たっぷりの発言ばかりでなかなかに面白い。本書の冒頭も人を食ったような冗談とも本気とも取れない毒舌な内容が書かれており、興味を引かれた。さて本書も面白いのだろうか。
22世紀の資本論(成田悠輔、2025年2月、文春新書)
本書を読んだ感想
本書ではタイトル通り、「22世紀=未来」に起こりそうなことが、フワフワっとした感じで、とりとめもなく書かれている。悪く言えば、支離滅裂に書かれている。未来の事なので単なる著者による空想なのか、現実に起こることなのかは、読者側としては当然分からない。視点を変えれば、「今、現在」役に立ちそうなことは書かれていない。
それを良しとするのか、読者をそれっぽいことで煙に巻いているだけ、と評価するのかは各自の温度差が大きそうだ。私としては、特に何かを学ぼうという目的を持って本書を読んだわけではないので、気にはならなかった。それでもいくつか興味を引かれた点はあったので、それをまとめてみる。
本書で気になった内容
未来のインフレ、現在のデフレ
本書では、現物である金(ゴールド)と株価の時価総額の乖離が書かれている。昔は金と株価の乖離は小さかったが、現在では株価が10倍ぐらいの差をつけている。この状況に対する1つの解釈として、現物である金(=現在)よりも、株価(=未来)の方に価値があると皆が思っている証拠、とある。
結果、売り上げがまったくなく赤字垂れ流しの企業であっても、「将来なんかイケそうじゃね?」という理由だけで、時価総額数千億円となるのがその証拠である。個人的に思いつくのは、携帯参入事業でもう何年間も膨大な赤字を垂れ流している、楽天などであろうか。もっとも楽天は携帯以外にも本業があるので、それらの影響も無視できないが。
「価値」とは人が「そこにある」と信じればイイ
「資本主義経済は、口の上手い営業や占い師みたいなもの」と書かれている。どんなに無価値なものでも、「価値があるように物語を作り上げれば」本当にそこに価値が発生し、お金を得ることが出来る。価値とは人為的に作り出せるものである。その物語がどれぐらい受け入れられるかは、その時代のタイミングによる、とある。わらしべ長者の様なものか。
実際に”NFT”がフィーバーしていた頃は、ツイッターの初投稿が3億円で売れたり、誰にでも描けそうな「サルの絵」を有名アーティストが1.5億で購入したという事例が示されている。残念ながら今はデジタルゴミと化しているが。
ネットにより生産性は向上したのか
「ネットが普及したことにより、世の中の生産性は向上したのか?」多くの人はYESと答えるだろう。しかし実際には、停滞していると書かれている。理由は、確かにネットで効率は上がったが、同時にネットは膨大な無駄を生み出しており、差し引きゼロということである。無駄とは、ネットに忙殺される時間である。現代人は、歩く間も惜しむほどネットに没頭している。
その他は未来予想図
私が参考になったと思ったのは、上記のような内容である。それ以降は著者の未来予想図が延々と述べられている。正直、50代の私にとっては自分が体験し得ない遠い未来の話はあまり興味が無い。
簡単にまとめると、
・アナログ時代にお金はモノの価値を図る物差しであった
・高いか安いかで、人はおおよその価値を判断してきた
・だが、これからはすべてがデータ化される時代となる
・よって、古い物差しであるお金は不要となっていく
・今後はデジタルデータが過去のデータ(傾向)から、各自に必要なモノを教えてくれる
・これを本書では「招き猫アルゴリズム」と称している
「ふーん、そうなんだぁ~」ぐらいの感想しか持てなかった。アルゴリズムに支配されちゃうの?的な気持ちもある。同時に、人間はそんなに単純だろうか?という気持ちもある。
まとめ
このように、フワフワっとした感じで著者の考える未来像が書かれているのが本書である。実際、「22世紀の資本論」とタイトルにあるので、別にタイトル詐欺でもない。私としては、著者の人物像がイメージできたので満足はしているが、「経済論的な何か」を学ぼうとする人からすれば、拍子抜けかもしれない。悪く言えば、いち個人の妄想ということになる。