バカの壁に続き過去のベストセラーということで「国家の品格」(藤原正彦、2005年、新潮新書)を読んだ。内容は多岐にわたるが、私が取り上げるのは「英語教育の無意味さ」についてである。グローバル化が叫ばれて久しく、我が国でも2020年から小学校5,6年で英語教育が開始されている。しかし、筆者は真っ向からこれを否定している。なぜなのか?
英語を学ぶ無意味さ
結論、英語がしゃべれるだけで国際人になれたら世話ないわ
グローバル社会と言われ日本でも国際社会に通用するよう英語を学ばせている。しかし、英語は所詮話すための手段にしかすぎない。英語を話せるだけで国際人になれるのなら、英語を母国語とするアメリカ人は全員国際人となる。しかし、実際のアメリカの実情はどうか?銃犯罪、ドラッグの蔓延など混沌とした社会である。
〇英語よりも知識を
結論、英語が話せてもバカなら国際的に通用しませんよ
繰り返しになるが英語は所詮話すための“手段”でしかない。英語は通訳で代替できるが本人の知識や教養は代替できない。よく海外における日本の政治家のマナーの悪さが取り上げられるが、それが最たる例であろう。英語を話すことと知識をつけること、どちらを優先させるべきなのかは明白である。
〇中途半端が一番危険
筆者は中途半端な英語教育の結果、英語の実力が5割、日本語の実力が5割という役に立たない人間が出来上がり「どちらの国でも通用しない」と警鐘する。少なくとも日本語10割の力が無いとまともな思考が出来ないと言い切っている。
これに関しては例えば「先日の会議の議事録書きました」とある人が持ってきたときに、非常に読みづらい内容であったとする。そこで相手が「いや、自分英語もできるんで」と言われても「その前に日本語から勉強やり直した方がいいんじゃない」と言いたくなるような感じだろうか。
〇日本人はなぜ英語に執着するのか
日本人はなぜここまで英語に執着するのか。その理由を自分なりに考えてみると「田舎者の都会への憧れ」という結論に至る。「東京に行って華やかな生活をしたい」というのが、いっぱしに英語が喋れて海外で通用したい、という気持ちに繋がるのだろう。
憧れ自体は悪くないが、実際に東京に行くだけで(英語が喋れるだけで)なんとかなるのか?というと何ともならないのが現実である。やはり個々人の能力を高める必要があると思し、優先順位は英語よりも上だろう。
アメリカ”だけ”は安泰な理由
先ほどアメリカは犯罪社会と書いた。にもかかわらず世界で一番発展し、世界をリードしている強国はアメリカである。本書でも「アメリカだけは安泰」と書かれている。なぜなのか?もちろん英語が話せることが理由ではない。
それはアメリカという国には放っておいても各国から優秀な人材が勝手に集まって来るからである。大谷翔平やイチローがどこでプレイしているか(していたか)を考えればすぐに分かる話だ。日本でいうと東京の一極集中と同じ構図だ。
スポーツだけではなく技術もそうである。テスラのイーロン・マスク(南アフリカ出身)、エヌビディアのジェンスン・フアン(台湾出身)など、黙っていても向こうの方から寄ってきてアメリカを高みに持ち上げてくれる。だからアメリカの教育がダメダメでも全然問題ないのだ。
〇人が集まらない国はどうすればいいのか
では、優秀な人材が集まって来てくれない日本を含めたその他の国はどうすればいいのか?「自国で優秀な人材を作るしかない」というのが本書の結論である。しかし、日本のやっていることは英語をチマチマ教えて中途半端な人間を大量生産しているところに筆者の嘆きがある。
まとめ
私的にはこの本からこのような解釈を行った。スキルポイントを日本語に全振りして教養を身につけなければ国際的に通用しないということ。多芸は無芸、器用貧乏は避けるべきである。