この本を読もうと思った理由
私がこの本を読もうと思った理由は、純粋に興味本位である。死刑制度というものについても知りたかったし、目次にもある「死刑は抑止力になるのか」という部分にも興味を引かれた。
死刑について私たちが知っておくべきこと(丸山泰弘、2025年5月、ちくまプリマ―新書)
私は死刑賛成派
先に述べておくと、私自身は「死刑賛成派」である。理由は、先ほどの「抑止力になる」というものと、ハムラビ法典流の「目には目を」という報復論である。特に報復については、もし自分の家族が誰かに殺されたのであれば、その相手を殺してやりたいと思うのは至極当然の感覚ではないかと思う。
本書を読んだ感想
著者は本書の中で何度も「賛成派も否定派も、死刑についてもっと知ってから判断してもらいたい」と繰り返し述べている。しかし、本書の情報の出し方、文章の書きっぷりを見ると、賛成派を反対派に誘導するような書き方であり、死刑賛成派の私としてはまったく公平性を保てているとは思えなかった。
日本の世論は8割が死刑賛成
日本では国民の8割が死刑に賛成している。これは世論調査で実証されている。当然この中には、私のように「積極的に死刑制度に賛成」という人もいれば、「どちらかといえば賛成」という消極派の賛成も含まれる。
死刑反対派であることが見え隠れする筆者は、この結果に対して「質問の仕方が悪い」と難癖をつけている。改めて他の人が公平な質問形式で再度検証した結果、賛成派が8割という結果には変わりがなかった。にもかかわらず、まだ市民の理解が足りないなど、往生際が悪すぎる。そもそも、筆者自身が反対派なのであれば、最初から正直にそういえばいいだろう。中立を装っている分たちが悪い。
死刑の可能性がある罪
日本でこの罪を犯せば「死刑の可能性がある」という犯罪は12例ぐらい紹介されていたが、実質的に運用されているのは「①殺人罪、②強盗致死罪、③強盗・不同意性交等罪」の3つとある。最後の罪名は近年の見直しでマイルドな名前になっているが、以前は強盗強姦罪と言われていた。
よく聞くのは、「2名以上殺せば死刑の可能性が高くなる」というものであるが、そのあたりの真偽について本書では振れられていなかった。
死刑の数や方法について
本書では、死刑についてのデータが記載されていたので一部を紹介する。
死刑の確定数と執行数
日本における近年の死刑確定数と死刑の執行数は以下の通り。
【死刑確定数】
2013年:7件
2012年:10件
2011年:24件
2010年:8件
【死刑執行数】
2024年:0件
2023年:0件
2022年:1件
2021年:3件
2020年:0件
明らかに死刑確定数に対して、執行数が足りていないのが分かる。以前、「私が法務大臣でいる間は死刑執行はしません」などと、バカげた発言をした大臣がいたが職務放棄も甚だしい。そんな気持ちなら、大臣職を受けるなと言いたい。指名した首相にも責任がある。今なら即大炎上で更迭だろう。執行のスピードだけは、中国を見習って欲しいと強く思う。
殺人の被害者数はどれぐらいなのか
実際に日本で年間どれぐらいの人が犯罪によって死亡し、そのうちどれぐらいの人数が死刑の可能性を持っているのか。本書では2023年の「犯罪白書」を引用し2022年における内訳が記載されている。
まず犯罪により死亡した人数は598人とある。ここには、死刑の可能性が無い傷害致死や過失致死が含まれているので、死刑の可能性がある「殺人、強盗殺人、強姦殺人」の被害者を抽出すると254名となる。
身内殺しが約半数
日本の殺人罪(強盗強姦含む)の44.7%が家族間による犯罪となっている。次に多いのが、面識のある相手による殺人でこちらが39.7%となっている。よって、殺人の84.4%が家族ないし顔見知りの犯行ということになる。ストーカー殺人は顔見知りに含まれるだろうが、完全な通り魔的殺人は15.6%の中に含まれるに過ぎない。
年間の殺人犠牲者、254名を犯人別に分類すると、以下の通りとなる。
・家族による殺人:114名(44.7%)
・顔見知りの殺人:101名(39.7%)
・その他の殺人(通り魔な):39名(15.6%)
身内殺しの実情
日本において家族間による殺人が多いことは、世界的にも注目されているらしい。その主な動機は、
・介護疲れの無理心中で加害者が生き残る
・高齢の親が障害を持った子供を連れた無理心中
・貧困による一家心中
など、どれも悲しい事情によるものばかりである。このような殺人の場合、背後関係が考慮され死刑が適用されることは無いとあるので、死刑制度を維持しても問題ないと私は考える。
死刑の抑止力について
死刑賛成派の意見のひとつに「死刑は殺人の抑止力になる」というものがある。私もこの考え方を持っている。死刑になりそうだから殺人をやめておこう、、、という考え方だ。しかし、本書ではその効果を科学的に調査した資料は無く、抑止力の有効性は不明としている。同時に、抑止力が無いことも実証されていないともしている。
結局、死刑に抑止力が有るのか、無いのかはハッキリと分かっていない、というのが結論である。ここで、死刑賛成派、反対派の典型的な見解が書かれているので紹介する。あなたの考えと合致するだろうか。
死刑賛成派の3つの意見
なぜ死刑があった方がいいと思うのか?
①他人の命を奪ったのだから、自らの命で償うべき
②死刑には抑止力が有るから(ただし、上述の様にその効果は実証されていない)
③犯人を死刑にすれば100%再犯を防げるから
私の意見としては、①と②がガッツリとあてはまる。①については、単純な感情論であることは認めるし、それでもいいと思っている。③については、考えたこともなかったが後述する、「無期懲役30年出所後の再犯の可能性」を考えれば「あり」かもしれないと思うようになった。
死刑反対派の4つの意見
なぜ死刑を廃止した方がいいと思うのか?
①殺人を禁止している国が、死刑(殺人)をするのは矛盾しているから
②死刑に抑止力は無いから(ただし、上述の様にその効果は実証されていない)
③憲法違反と言う考え。憲法36条に「残虐な刑罰」は禁止されており、死刑がこれに該当すると“考えられる”
※戦後の1948年(昭和23年)に最高裁で「残虐な刑罰には該当しない」とう判決が出ている。ただし、「残虐の価値観は時代により変わる」との一文も添えられているので、死刑反対派は今の時代では「残虐な刑罰に該当する」と主張している。
④後で間違い(冤罪等)と分かっても取り返しがつかないから
①は単なる言葉遊びに聞こえる。死刑(刑罰)=殺人とは意味合いが違うだろう。④については、その確率がどれほどのものなのか検証の余地はある。
無期懲役の実情を知る
日本に死刑賛成派が多い理由のひとつとして、一生刑務所から出てこれない「終身刑」が無いからだといわれている。日本にあるのは無期懲役である。この場合、出所する可能性はゼロではない。特にテレビなどで「無期なら10年程度で出てこれる」と言われているが、これは”大きな間違い”と書かれている。
参考までに、刑期で重い順に並べると、
死刑 > 無期懲役 > 懲役30年(有期刑の最大) となる
なぜ10年といわれるのか?
無期懲役が10年で出所の可能性がある、と言われる根拠は刑法28条に規定されている。「無期懲役の場合、“改悛の状があるとき”は10年経過すれば仮釈放の検討ができる」と定められているからである。
ポイントは、「できる」であり、「しなければならない」ではない。なので、10年経過時に無視しても法律的にはまったく問題ないということである。では、実際に近年の無期懲役の仮釈放の実情はどうなっているのか。
仮釈放の実情:平均32年
結論から言うと、2013年~2022年までに仮釈放が認められた受刑者が服役していた期間は、概ね32年程度である。最近は、世論の厳罰化傾向が進んでいるのか2022年では45年となっている。そして年間の仮釈放者数は10人にも満たない一桁台である。当然だが、無期懲役者「全員」が、自動的に仮釈放されるわけではない。
よって「10年やそこら」で出てくるというのは、実際には不可能ということだ。理論的な可能性があるだけで実情は平均32年ということである。そもそも、有期刑の最大30年より重い無期刑が、有期刑の受刑者より先に出てこられるわけがない。それこそ法律的に矛盾していることになる。
だが50歳の可能性もある
といっても、30年で出所可能となれば20歳で凶悪犯罪を犯した場合、50歳で出所してくる可能性は十分にあり得る。となると、やはり再犯の可能性をゼロにする死刑、もしくは終身刑の必要性を感じてしまう。
まとめ
本書を読んで、私はますます「死刑制度は必要」と思うようになった。著者の言うような細かい理屈や「残虐性」の判断の言葉遊びなど、私としてはどうでもいいと感じている。「悪いことをしたら罰を受ける。当たり前のことだ。(それも同等の罰がいい)」この倫理観が日本人の中から消えない限り、いくら些末な理屈を並べても死刑制度はこの先も維持されるだろう。
確かに、「介護疲れの果ての殺人」のようなやむにやまれぬ殺人もあるのかもしれない。しかし、日本の裁判では殺した経緯をくみ取って死刑が妥当かどうかを判断してくれる。問答無用で死刑になるわけではないので、廃止にする意義を感じない。
やはり死をもって償うべき
ここはもう理屈ではなく感覚論である。「感覚論で人を死刑にしていいのか?」とこの本の筆者ならいいそうだが、自分の感覚論で他人を殺すような犯罪者に、感覚論で対応して何が悪いのか聞いてみたい。被害者は身勝手な理由で殺され、加害者には感覚論を当てはめてはならない、というのは不公平だろう。
池田小の宅間被告のような人物が今も、のうのうと刑務所の中で飯を食って生きていることを想像してもらいたい。それでも死刑廃止を唱えるのだろうか。終身刑があればいいという単純なものでもない。やはり自らの命を持って償ってくれなければ割に合わないだろう。それでも犯人1の命と複数の被害者の命は釣り合わないが。。。