この本を読もうと思った理由
以前に「リベラルとは何か」について紹介したが、もう少しリベラルについて知りたいと思ったので2冊目として本書を読むことにした。「リベラルとは何か」と違い、本書はすでにリベラルとは何かを”知っていることが前提”で会話形式で内容が進むので、リベラルそのものを知らない人にはオススメできない。そういう場合、「リベラルとは何か」の記事を読んでもらえればいいと思う。
「リベラル」の正体(茂木 誠、朝香 豊、2022年6月、WAC)
本書を読んで
非常に面白く、ためになった。リベラルとは何かと題打っているが本書では、「リベラル=共産主義」となっているので、「共産主義的考えとは何か」に近い。実際に元共産党員で今は脱退した人と、資本主義の人との対話形式で書かれている。
本書の冒頭でも書かれているが、空き巣の事は元泥棒が一番よく知っているのと同じで、元共産党員の人が語るので、共産主義的思想(マルクス思想)のどういうところが、(当時)魅力的に感じたのか、それのどこが悪かったのか、共産主義思想とはどういったものかを、分かりやすく説明してくれている。
たとえ話がとても上手で、元共産党員による「ここがダメだよ共産主義」的な内容となっている。元共産党員が切実に語るので非常に説得力があるというか、分かりやすい。共産主義のこういう点(理想論)にハマってしまう、というのが良く分かる。ハマってた当人が言うのだから間違いないって感じで面白い。
リベラルとは
本書では、リベラルとは次の様に定義されている。
リベラルとは本来、個人主義、自由主義を指していたが、今日では「自由主義の規制、平等と分配を重視する考え方」とある。“平等と分配”というところが「リベラルとは何か」と共通する。リベラルを語るうえで、平等と分配という考えは避けられないのだろう。
気になった点のまとめ
以下、私が本書を読んで気になった点をまとめてみる。
ウクライナの戦争について
話せばわかるは幻想。ロシアとウクライナの戦争について、リベラル派は「話し合いで解決すべき」と主張しているが、そんなものが通じる相手ではない。世の中、誰もが話し合いに応じるわけではない、リベラル派にはそこが分かっていない、と書かれている。
とにかく、話し合いで解決の一点張りで、それがダメだったときの代替案を考えていない。というか、“絶対に”話し合いで解決できると考えている、そのあたりがリベラル派の限界となる。
確かに、プーチンが「私が悪るぅ~ございました」なんて言うわけがない。そんなことを言う気があるなら、最初から戦争なんかやってないということだ。戦争を肯定するわけではないが、解決の糸口は間違っているだろう。
平和ボケしている日本
他にも、日本は平和ボケしすぎて他国の侵略に疎い。もしウクライナの様に他国から侵略された場合、犠牲を出してでも国家の主権を守るための戦いが出来るのか議論されている。この辺り、百田尚樹の「カエルの楽園」に通じるものがある。
カエルの楽園は私も読んだが、胸クソの悪くなる内容だ。しかし、それを望んでいるのが平和ボケしている日本という痛烈な寓話である。もしこの本を読んで胸クソが悪くならないのなら、あなたはリベラル派なのかもしれない。一度、読まれることをオススメする。
カエルの楽園(百田尚樹、2017年8月、新潮文庫)
共産主義から見た資本主義
資本主義は狂っている
本書では、元共産党員が当時資本主義に対してどう思っていたかが語られている。ひと言で言うと、「世の中狂っている」と感じていたらしい。人間は公的利益のために働くべきなのに周りを見わたせば、どいつもコイツも私利私欲のために稼いでいる。こんな資本主義の世の中は狂っている、という理屈だ。
これに対して、資本主義の人から次の様な意見が出ている。資本主義の場合、確かに動機は私利私欲で稼いでいるが、私利私欲を前面に押し出すと例えば、サービスが悪くなったり、ぼったくり価格になったり、製品の品質が落ちたりする。そうなるとお客はその店では買わないので、最終的にはお客を満足させるサービス水準は維持される。
満足度は資本主義の方が上
こういう、“市場原理”が働くので資本主義では顧客の満足度は高くなる。反対に、共産主義では最低限の機能さえ果たせばいいと考えるので、満足度は著しく低下する。
例えば、コップであれば共産主義ではカップと取っ手が付いていればよく、デザイン性は皆無となる。推しのキャラクターの限定品コップ(1800円)と、なんの絵柄もないスチールのコップ(100円)、価格に18倍の差があるが、あなたならどちらが欲しいだろうか。
結局は、資本主義では、
・儲けようといくら横暴にふるまっても、ふるまえないのが現実
・なぜなら、横暴な店は淘汰(つぶれる)されるから
・仮に暴利であっても、顧客の満足度は満たされる(ブランド品など)
こういう現実に気づいていないのが、リベラル派ということになる。
共産主義は本能に逆らったシステム
別に動機が“私利私欲のため”であったとしても「結果的に、お客側が喜んで満足していれば、それでいいんじゃない」ということだ。稼ぐ過程の倫理や考え方よりも、顧客満足度の評価の方が重要ということ。
私的には、「資本主義は人間の本能に適した方式」だと思っている。儲けたい!、自由になりたい!、遊びたい!、そういう本能(欲求)は、いくら理性で制御しても無理なのである。リベラル派が受け入れられない、ひいては共産主義が失敗しているのは、こういった人間の本能に逆らったり抑え込もうとするシステムだから、だと思う。
マルクス主義について
今になって振り返ると「マルクス主義」なんて、本当に後の世を狂わすトンデモ理論を作ってくれたもんだ、ということになる。しかし、私が思うに当時の資本主義の労働市場は非常に過酷なモノであり、資本家が労働者をモノの様に扱い、連日の1日14時間労働も当たり前のような時代だったのだろう。
だから、そういった過酷な状況を打破するために、資本を社会で共有する共産主義が必要なのだ、という考え方に至った気持ちは理解できる。しかし、実際にやってみるとうまくいかなかった。上手く行かないどころか、大失敗で多くの飢餓や独裁政治を招いてしまった。
過去と現在は違う
そしてマルクスの時代から長い年月が経ち、資本主義は労働者保護、福祉の発展に舵を切った。そして、人々は改善された資本主義に満足している。なので共産主義は必要なくなった。資本主義は柔軟に対応し改善された。しかし、共産主義ではそれがなされていない。いまだにマルク主義という大昔の価値観一辺倒だ。
共産主義への転換は可能か
リベラル派が頑張れば、資本主義から共産主義への転換は可能なのだろうか?私的には無理だと思う。私自身、この年までリベラルだの保守だのを知らなかった。なので、多くの人はそういうことに興味が無いのだと思う。別の言い方をすれば、資本主義に慣れきってしまっている。
このような理由から、いくら活動しても共産主義に転覆させるのは無理だと思う。加えて、我々は中国や北朝鮮という悲惨な失敗のケースを目の当たりにしているから、「ああいう風にはなりたくない」という気持ちが根底にある。
結局、自由が認められない社会は受け入れられないのだ。平等と自由なら人は自由を選ぶ。たとえ、そこに格差という歪みがあったとしても。これは歴史と人間の本能が証明している。